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山田和人
同志社大学文学部 教授
 関西で人形浄瑠璃を見るには、主に大阪の国立文楽劇場に足を運ぶことになる。櫓をシンボリックに表現した瀟洒(しょうしゃ)な建物で、昭和59年(1984)に開場し、年に4回の公演が定期的に行われている。また東京の国立劇場でも定期公演が行われ、そのほか各地に赴いて巡業している。海外公演にも積極的に参加しており、2001年は若手の技芸員が中心になって、韓国興行を成功させた。現代に生きる人形芝居として、国際的にもその活動の範囲を広げている。

1 人形浄瑠璃の歴史  

 太夫の語りと三味線にあわせて人形が演技をする人形浄瑠璃は、かつて京・大坂を中心に誕生、発達してきた人形芝居である。その興行の歴史は17世紀の初頭に始まり、その後半には優れた技量の太夫が輩出した。大坂では井上播磨掾(いのうえはりまのじょう)・伊藤出羽掾(いとうでわのじょう)、京都では宇治加賀掾(うじかがのじょう)・山本角太夫らが活躍する。加賀掾の浄瑠璃は文芸的にも優れた語り物を志向した。ちょうどそのころ道頓堀に竹本義太夫が登場し、貞享2年(1685)旗揚げ興行として『出世景清(しゅっせかげきよ)』を上演して評判となり、その後は浄瑠璃といえば義太夫節が最も人気を博するようになる。今も関西で浄瑠璃と言えば「義太夫節」を意味する。
 この義太夫に作品を作り続けたのが近松門左衛門であった。近松は『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』などの名作を生んだ。この時期、道頓堀では西の竹本座と東の豊竹座が張り合って活況を呈していた。豊竹座には紀海音(きのかいおん)が作者として活躍していた。近松が没した享保以降、複数の作者が一つの作品を制作する合作時代に入る。そして延享から宝暦元年(1744〜1751)にかけて歌舞伎の人気を凌ぐ人形浄瑠璃の黄金期が訪れる。竹田出雲・並木宗輔・三好松洛らが作者として活躍し、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』などの三名作が生み出された。その後近松半二や菅専助(すがせんすけ)らが作者として活躍し、『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』などの名作を生む。現在上演されている作品の多くは、安永期(1752〜1780)あたりまでに初演されたものである。
 しかし、人形浄瑠璃は、宝暦から安永期にかけて次第に下降の道をたどり、興行の本拠地である竹本座や豊竹座も退転し寛政期に衰退する。それからは宮地芝居の時代となり、船場の御霊社・座摩社・稲荷社等の境内で上演されることになる。新作の上演は極端に少なくなり、旧作の名作が古典として上演されるようになっていった。  
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